お互いの正義の火種
2026/07/29
今日は僕が一番、人生で影響を受けた出来事をお話ししましょう。
皆さんは「ディベート」という、自分と他者との間で意見を対立させ、最終的には相手を論破する討論ゲームを知っていますか?

たとえば、「結婚」と「未婚」のどちらが幸せか?
「金持ちの家」と「貧乏な家」のどちらが人間的に成長するか?
といったテーマで互いに分かれます。
個人でもグループでも、互いにそれぞれの主張を展開し合い、最後に、相手の考えの矛盾や問題点を追及し、反論できないほど論破していく「ディスピュート(反駁)」という段階があります。
これは自分の主義主張を整理して、議論に強くなるための授業です。
普通は、このように進むのがディベートの展開です。ところが、アメリカの学校にいた頃、いつものようにディベートの時間がありました。テーマは「安楽死は救いになるか?」「安楽死は命への軽視か?」です。二つの陣営に分かれてディベートがスタートしました。
ところが、相手の間違いを正そうとするディスピュートの時間になったとき、指導教授が突然、新たな指示を出したのです。
「悪いが、相手側・敵陣営の立場になって、逆の意見を言ってほしい」
両陣営は、相手の意見の問題点ばかりを考えていたので、互いにシーンと静まり返りました。そこで教授はこう続けたのです。
「向こうの意見を聴いていたのだから、相手の意見をそのまま使ってもいいし、真似てもいい。さあ、はじめて!」
そのときに僕たちは気づいたのです。
僕たちは相手の陣営の意見など、真剣に聴いてはいなくて「やっつけてやる!」「正してやる!」ということだけに心が支配され、向こうは正されるべきで、哀れな存在の立ち位置に置いていました。相手の考えや、その真意から、真剣に学ぶことなど忘れ、誰もが、心でうすら笑いを浮かべて、相手をレベルの低い存在と信じ込み、より自分たちの考えは絶対的だと、信じて疑わない雰囲気に支配されていたのです。

そのとき、指導の先生がボソッと漏らしました。
「君たちみたいな人間が、戦争をおっ始めるんだよ」
ハッとしました。その時に自分の中にある攻撃性の存在を僕は知りました。そして、先生は続けて「相手がなぜ、それを大切にしているのか、その思いに共感しようとする存在が戦争を回避する人たちなんだ。君たちはどちら側につくのかね?」
しっかり考えるようにと言い渡されました。
この難しさがわかりますか?
ウクライナがロシアの立場になり、ロシアがウクライナの立場になって考えることや、日本が「尖閣諸島は中国のものかもしれない」と思考し、中国が「尖閣諸島は日本の領土かもしれない」と考えることを想像してみてください。
これは領有権や侵略の話をしたいのではなく、相手の立場で考えてみる思考練習の話です。ただ、こんな話を僕が書くだけでも頭に血がのぼってしまう人は、やはり戦争を始めてしまうタイプなのかもしれません。これは誰かを否定したいのではなく、その心理の延長線上に、戦争の種が宿る可能性があると、自分の正しさをも疑ってほしいのです。
今の時代はSNSの普及によって、自分の考えに似た情報が集まりやすい現代です。これからさらに、世界の分断は進む危険性が強まります。だからこそ僕は、頭の中だけでも「相手の側で考える」という柔軟性を失わない人間でありたいのです。
心の柔軟性を保つためには、心の学びは不可欠です。

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心理カウンセラー衛藤信之
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