愛は静けさの中に…

   

 身近な人が突然の不幸に見舞われた時には、状況によっては「助けたい!」と言う気持ちがマイナスになり仇になることがあります。

 突然に家族の誰かが亡くなられた人に。
 知り合いが癌の宣告を受けた時に。
 会社が破産した友に。


 このような時には、優しい親切な人ほど、何とか「してあげたい」と考えます。でも、そんな時こそ、相手がそれを望んでいるかを考えないとなりません。

 本人自身がパニックになっている時には、被暗示性が亢進します。ようするにパニックになっている人はワラにもすがる心理状態になるからです。

 オレオレ詐欺は、これを意図して作り利用します。

 だから、あれこれと周囲が心配することで、相手はさらに不安が増幅する可能性があります。「こうしたら」「ああしたら」と、外から言われたことが情報過多となり、パニックな感覚をより増長するからです。

 それと僕の経験から言えることがあります。

 僕の愛する継母が命を自ら絶った時にも、親切そうな、ご近所の人があれこれと心配顔で継母のことを訊ねてきました。それは、すぐに、ご近所の噂になってしまって悲しかったことを覚えています。

 また、僕の子どもが小児がんの宣告を受けた時も、周囲から「子どもさん、どうですか?」「どんな病状ですか?」と質問されました。その度に「ご心配おかけしてすみません」と答えるのです。やがて尋ねられることに疲れてしまいました。

 「兆候はあったのか?」「治るのか?」「どんな経過をたどるのか?」ある人の質問は一回でも、当事者や家族にとっては、何度も何度も同じ痛みを繰り返すことになります。そして、質問される答えは「僕が知りたいです」と言いたくなることばかりです。今の段階では経過でしか答えられないことが多かったからです。


 何かが起こった人に周囲はざわめき立ちます。その時こそ控えることも真の優しさだと思えるのです。なぜなら、お節介な人は、同時期に一斉に集まって当人を取り囲むからです。

 僕の経験で、ありがたかったのは「何かあったら声をかけてくださいね」と言ってくださり、遠くで見守ってくれた人が一番ありがたかったです。

 困っている人を助けたいと思う心は、美しいものです。
 でも時に、その美しさが鋭い刃にもなります。
 だからこそ、僕たちは“踏み込みすぎない優しさ”を学ぶ必要があります。
 見守るという行為こそ、騒がしくない、最も成熟した愛の形かもしれません。

【お節介な優しさチェック】
〜あなたの“助けたい”が相手を苦しめていないか?〜

1️⃣ 悩んでいる人を見ると、「何とかしてあげなきゃ」とすぐに動こうとしていませんか?
2️⃣ 相手が話していないことまで「原因」や「解決策」を探していませんか?
3️⃣ 相手が静かにしていたい時にも、「元気出して」と声をかけたくなりますか?
4️⃣ 「何かできることはない?」と繰り返し訊いてしまうことがありますか?
5️⃣ 相手の話を聴いている途中で、自分の体験を重ねて話していませんか?
6️⃣ 相手が答えに迷っている時、「こうした方がいいよ」と導こうとしていませんか?
7️⃣ 「心配だから」と言いながら、実は自分の不安を落ち着かせようとしていませんか?
8️⃣ 相手のつらさを聞くと、自分が何とかしなければと思ってしまいますか?
9️⃣ 相手の問題が解決しないと、どこか自分が無力に感じてしまいますか?
🔟 「そっと見守る」よりも、「何かしてあげる」方が愛情だと感じますか?

 誰かがショックを受けている時には、適度な距離感が大切ですね。



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心理カウンセラー衛藤信之
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