人間の優しさを“稀な行為“にしてはならない。

   

 今、中国と日本の関係が冷え込んでいますね。中国では日本の映画、コンサートが中止になり、日本では評論家も「中国なんかいらない」「勝手に自滅せよ」といった意見が多くあがります。きっと中国でも、逆の風潮が起こっているのでしょう。

 「中国人は」「ロシア人は」「日本人は」という時には、その荒い言葉の中に、互いの国の中にも、多くの個性が存在することを忘れてはならないと思っています。

 ドイツの捕虜収容所に、ユダヤ人として入れられ、“恐怖の選別”から生還した心理学者のV・フランクルが、その残酷な世界の中でも、いくつかの光を見たと語りました。

 ドイツ人の中にも、病気で倒れたユダヤ人のために、命の危険を冒してまで薬を買い求めてくれた人がいたと講演会で伝えました。するとドイツ人に嫌悪感を持つ人から批判の声があがった。「フランクル博士、当時のドイツの残虐行為を考えると、それは“稀な例”であって一般化することは危険だ」と…

 フランクルは、その批判に対しても、反論することなく、「まさに稀な事例なのだと思います」と受け入れて、続けてフランクルは「このような稀な“善の行動”の中にこそ、民族を越えた人間の素晴らしい精神性が隠れています。その美しい行いを“稀な出来事”と放置することで、世界は悪に支配されてしまいます。

 その勇気ある“稀な行動”を、私たちが広げていくことが、世界平和を未来につなげていけるのです」と訴えました。人種で人を見てはいけないと…

 さて歴史を振り返ると、戦争が始まる前には、自国主義に世界は傾きます。

 第一次世界大戦前では、ヨーロッパの多くの国が民族主義へと加速しました。
第二次世界大戦の前は、不景気の不満をユダヤ人に矛先を向けることで、ヒットラーはドイツで政権を取り人気を得ました。
 日本でも「日本は正しい」「アメリカは悪」という「自国の正義」を国民に刷り込み、敵対国アメリカを悪魔化することで、「自国のメンツがつぶされた」と国民の精神を総動員して太平洋戦争に突入しました。

 戦争前には、大衆の心理状態は、このプロセスを進めます。

 生活への不安が広がります。(経済・治安の悪化)その不安を安心するために、原因を外に求めたくなります。(排他主義) そして善と悪に単純化し分けることで、大衆の心は荒くなっていきます。(生け贄・スケープゴート)

 すべての人間の個性を単純化し、“あの国は”“我が国のメンツが”と交戦的になることが、戦争への序章につながります。

 こんな話を書くと、「だからこそ私の信じる政党こそが!」となることも知っています。僕はそれも“対立姿勢“だと思っています。どの政党も、みんなの未来のことを考えているのです。その相手に対するリスペクトする“稀な視点”を持つことで、国会内での議論が深まると僕は感じています。ケンカ越しでは、何も世界は変わらない。

 「正義を!」「平和を!」と叫んでいる人こそ、お互いの違いを批判するのではなく、互いに“未来の日本のため“にの、共通点を認めあう心が必要なのだと感じています。

 むずかしく、眉間にシワを寄せるのではなく、笑って未来を語り合いたいですね。

 12月に入りました。豊かな師走を迎えましょう。

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心理カウンセラー衛藤信之
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